生徒達に気づいて欲しい事
「なぜ、その答えに行きついたのか?」
かつての私は塾講師としていつも疑問に思っていました。 しかし、当時勤めていた塾の方針は家庭学習に重きをおき 教室での授業は、その家庭学習の完成度を確認する場で
あったことから、その質問自体がタブーな体質だったのです。
ん?わかりづらい?(笑)
要は「なぜその答えに行きついたの?」って質問に対して
「家で勉強した通りに答えただけ」って言われてしまえば、
それが「正解」でなければいけない塾だったのです。
でも、よく考えてみたら、
「それって何の勉強になっているの?」
って不思議で仕方ない事だと思いませんか?
教育の名のもとに教科書に書いてあることを
否応なしに覚えさせるだけの勉強…
そんな事をやっているから、新卒で企業に入社して、
最初の質問が「どうしたら営業成績が上がりますか?」
に落ち着いてしまうんだろうなって思うんです。
私は後輩のそんな質問に対して、毎回笑顔で
「例えばそこに答えがあるとして、僕が知っているなら
社員じゃなくて経営者になってるわ。世界一の」って答えてました。
そこそこの大学出て、期待されて採用されているのに
そんな元も子もない質問から社会人スタートする彼ら…
塾業界に来る前には気づきませんでしたけど、
子供たちに勉強を教える身になって初めてわかりました。
小・中・高と「そういう勉強」をしてきた事が、その質問に
凝縮されていたんだという事が…
英語の日本語訳の問題ですけど、テキストの解答と
一字一句一緒でなければ正解だと思えない子って 結構いるんです。それは、国語の記述問題も一緒です。
問題自体が「本文中から書きぬきなさい」であるなら
一字一句一緒でなければならないワケですが、
「文中の語句を使って説明しなさい」ならば、 答の軸さえぶれていなければ、ある程度は許容されるもの
なのですが、それが納得できないみたいですね。
竹を割ったような解答が出ないものについて
「苦手」とする傾向がある。
でも、社会を経験されている大人ならばわかるはず。
世の中に、そんなにすんなり答えが出る事って
どれだけあると思いますか?
のちの事を考えて、ベストな選択とも言い切れない
多分ベターであろう選択を繰り返して、一日一日の
業務を終えていく…そんな事の方が多いと思うんです。
だからこそ、義務教育に関しては ジャスト(完全正答)だけじゃなくベストやベターな答え
っていうのがあっても良いんじゃないか?
私はそう思っています。むしろそっちを増やすべきではないかと。
だから大学受験の記述式問題には私は大賛成なんです。
まさに、それこそがベストやベターな解答であるからです。
(しかし、当の大学側は84%がそれを嫌がっているそうです…)
なぜその答えに行きついたのか?
っていう質問は、私が塾をやるなら絶対に聞こうと思っていたんです。
答えを間違えている生徒だけではなく、
正答をバンバン出す生徒にこそ聞いてみたい質問ですよね。
論理的に説明する生徒、精神論を語る生徒、
曖昧な表現になってしまう生徒、本当に十人十色ですよ。
私の中では何か自分なりの根拠があって
その答えを導き出したのであれば、それは正解だと思ってます。
社会人になって、目の前の事案を片付けるときに、
自分なりの根拠すらなく行動してしまうと、
失敗した時の始末ができなくなってしまう。
でも、根拠があれば、その根拠自体に間違いが
あったという事に気付ける。そうすれば、それは失敗ではなく
成長のための糧になっていくと思いませんか?
「将来の為の学習」っていうのは、難しい事ではなく
「自分の考えを持って答えられる人間になれるか?」って
事なのではないかと、今の授業をしながら思っています。
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