志村けんさん、安らかに。
コロナウイルス…どこか、他人事のように感じていた
殺人ウイルスは、日本国民から大コメディアンを
奪ってしまいました。
志村けんさん。
我々の世代で志村さんの死を悲しまない者は
一人もいないと思います。
ザ・ドリフターズの全盛期を知っているものは
昭和40年代から50年代に生まれた者だけでしょう。
昭和30年代以前の生まれの人たちは、
ちょっと訝し気に彼らを見ている人もいたでしょうから。
私の実家はテレビばかり見ている一家でして、
一日中、テレビがついていると言っても
過言ではありませんでした。
土曜の夜は「8時だヨ全員集合!」と決まってました。
志村けんさんは、それまでドリフターズの中では
加藤茶さんに一任されていた「笑わせる」という役回りを
完全にモノにしていました。
当時の子供たちは、志村けんさんのマネをすれば
友達は笑うと思っていましたからね。
8時だヨ全員集合という番組が終わっても
「加トちゃん・けんちゃんごきげんテレビ」
「志村けんのだいじょうぶだぁ」など、
志村けんさんの活躍の場所は十分にありました。
「志村どうぶつ園」も放映されていますよね。
「パンくん」というチンパンジーとの仲が良くて、
一緒に手を繋いで歩いているシーンを思い出します。
パンくんは、2012年に亡くなっているんですよね…
さて、この大コメディアンの死ですが、
我々国民に何を感じさせたでしょう。
私の私見で申し訳ありませんが、私には
どこか他人事だったコロナウイルスが
一瞬で身近に迫る恐怖に変わりました。
つい、この前まで、視聴者に笑いを届けていた
コメディアンが発症して1週間程度で亡くなって
しまうほどの、ウイルスが世界中に蔓延しているという
事実をグッと思い知らされた気がします。
志村さんと歳が近いのは、私の両親…
この二人に絶対に感染させてはならない!
という気持ちを強く持ちました。
国民すべてが、彼の死から、そのメッセージを
受け取る事ができたなら、日本国民はこの殺人ウイルスの
恐怖に打ち勝つことができるかもしれません。
志村けんさん、今頃、パンくんが迎えに来て
一緒に手を繋いで歩いているのかもしれません。
私が子供のころから、笑いを届けてくれて
ありがとうございました。どうか安らかに…