学者になれ
「教師は五者になれ」という言葉を
塾講師にリンクさせて解釈してみました。
私は、五者という奴を意識してやってきた
という事は今まで無かったのですが、
20年もこの仕事をやっていると、なるほど…
と思う事があったので、実感した事を書いていきます。
「そうじゃない!」とか思われるかもしれませんけど、
あくまでも私の解釈ですので、あしからず…
最初は「学者になれ」という言葉です。
教師なんだから学者というのは近いものが
あると思うんです。でも、この場合は
学者の「性質」の事を言っているんです。
学者ってのは、一つの事を突き詰めて考えますよね。
例えば、生徒にどう伝えればわかってもらえるのか?
って事を、ずっと突き詰めていく人になりなさい。
という意味だと思うんですよね。
授業を自己満足で終わらせない
常に成長していける教師であれ!
みたいな感じなのではないでしょうか。
塾講師にリンクさせても同じことが言えると思うんです。
A君に教えたやり方がA君にピッタリ当てはまったからといって
B君に全く同じことを教えてもわかってもらえないってのは
当たり前だと思うんです。人それぞれ、学習環境も違えば
考え方だって違うんですから…
だから「俺の教え方が一番」っていう感覚は
絶対におかしいんですよ。
でも、塾の先生には多いんです。
自分の教え方が一番だと思っている人(笑)
他の人の教え方を見て「学ぼうという意識」は皆無。
ダメ出しばかりやっている…こんな人ばかりです。
だから、学者にならなければいけない。
ノーベル賞を取っても「まだまだこれからです」と
言ってのける山中伸弥教授のような
人間でなければいけません。
あと、塾講師なら「教育者でなければならない」
とも思うんです。いわゆる営業丸出しの塾が多いです。
これは大手は特に…「どこだか高校〇人」みたいな広告は
落ちてしまった自分の塾の生徒の事など
まるで考えていないと私は思っています。
実際にいるんですよ。生徒に友人紹介をお願いする時に
「数字に困っているから、誰か連れてきて」という
大問題発言を平気で口にしてしまう塾講師(笑)
遠い距離を歩いて通ってきてくれている生徒を
「数字」って…それが人間性に欠けている発言で
あることにすら気づいていない人もいるんです。
一度、振り返って欲しいんですよね。
塾講師は教師ではないのかもしれないけど
勉強ができなくて困っている子供たちを
なんとか助けてあげたいと思って、その仕事に
ついているっていう事を!
一般企業ですから、売上だ、利益だってのは
仕方のないことかもしれませんが、
困っている生徒を目の前にして、何もしないような
塾講師であってはいけないと思うんです。
よって「学者であれ」は、塾講師にとっては
「教育者であれ」という言葉に替えても良いのでは
ないかと思う次第です。