親の願い
いやぁ~寒いですね。
先日、昔の人は「大寒」の時期をキッチリ当てていて
すごいなぁって話をしていたのですが、
なんと、今年は大寒以降も寒いそうです。
よって先日の内容を撤回しますね(笑)
今日はぼんやりと親御さんってお子さんに
何を望んでいるのかな?って事を考えてました。
私も一人の親として、我が子に望むもの…
どうでしょう…我が子が方程式ができるようになる
とか、化学反応式が書けるようになるというような
具体的なことなど望んでいるのでしょうか?
何となく違う気がするんですよね。
勉強なんかよりも挨拶がちゃんとできているか?
勉強なんかよりもお友達と上手くやっているか?
そっちが先のような気がします。
勉強に関していえば、先ほど述べたような
具体的な単元に関してよりも、
勉強をすることで、自分の苦手を克服できるか?
の方が気になります。
なぜか?
それは最終的に「自立できるか?」を
親は望んでいるからなのかもしれません。
ちゃんと挨拶できる人は、
社会に馴染む事はできるでしょう。
人とうまく接する事ができれば、先輩に色々
教わる事もできるでしょう。
教えてもらって、克服できるなら、
教わった事を生かして自立できるでしょう。
結局、それに尽きる気がするんです。
勉強ができるようになる=偏差値の高い高校へ行く
っていうレールは、あくまでも我が子が最終的に
なりたい職業につく為の選択肢の幅を広げる
という事以外に思いつかないんですよね。
もっと大切なのは自分で考えて、自分で結論を
だせるようになって欲しいという事。
それが「生きていく」という事だからです。
世の中の動物たちだって、
我が子にはエサの取り方を教えるでしょう。
鳥ならば飛び方&エサの取り方です。
それが鳥にとっては「生きていく」という事だからです。
最近、初老の親が中年に差し掛かっている
「無職」の我が子に殺されてしまうような事件、
その逆もありますね、親が我が子を手にかけるような事件
っていうのも結構頻発している気がします。
我が子に鈍器で殴られて、意識が遠のく時、
親は何を思うのか?
この子は、この先、どうやって生きていくのだろうか?
と心配しながら死んで行くのでしょう。
最後の最後に「あぁ、失敗した…」って思うんじゃないでしょうか。
そう、失敗なんですよ。
「生き方」を教えないという事は、親が子供を放棄
しているのも同じなんですよね。
我が子や自分はそうはならないように、
これから成長を見届けて行きたいものです。