何気ない優しさ
エレベーターで同じ階で降りる時は
ボタンの前に居る人が「開」ボタンを
押し続けて閉まらないようにする。
同じく、エレベーターの先頭に居る時は
途中の階で降りる人の為に一度外に出る。
コンビニから出る時に先に出る人は
後ろの人がドアにぶつからないように
少しだけドアを開けて待つ。
バスから降りる時に、安全に目的地まで
送ってくれた運転手さんに「どうも」の
一声をかける。
私が普段の生活で感じる何気ない優しさです。
私はこういう事が当たり前にできるのなら
その人はしっかりとした教育を受けてきた
んであろうと判断します。
なぜか?
それは、そこに「気づき」があるからです。
こんなにたくさんの人が一斉に降りるなら
エレベーターのドアが途中で閉まって
しまうかもしれない…と気づけるか?
自分が邪魔で降りる人が大変かもしれない
と気づけるか?
相手を気遣える気持ちがあるなら
どんな社会でも生きていけると思うんです。
気遣ってもらった側はどうでしょう。
そんな何気ない優しさに助けられたときは
「ありがとうございます」「あ、どうも」
の一声が出ていますか?
それが出ているなら大丈夫です。
相手が気遣ってくれた事に気付けるならば
自分もいつか、同じように人に気遣う事が
できるからです。
ネットが普及し、色んな人が色んなことを
発信する時代となりましたが、たまに
ビックリするような発信を目にします。
例えば電車で乗り合わせた子供が
泣いていてうるさいとか、お隣の国に
対する誹謗中傷なんかも目にします。
ああいうのを目にする度に
「大丈夫かな?この国」と
残念な気持ちになるのですが
他人の何気ない優しさに触れる度に
「あ、大丈夫だった、この国」と
再認識しております。
どうか、全ての人たちが
何気ない優しさを、ごく当たり前に
振舞うことができますように。