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自然の摂理


先日、お亡くなりになった金魚のマスター。

我が家の庭に深めの穴を掘って、

お墓を作り埋葬していました。

娘たちが庭で遊ぶ時は必ず

マスターのお墓に手を合わせます。

幼い子供たちが亡くなったペットに

手を合わせて成仏を祈る…

なかなか見られない光景であると

目を細めてみていました。

しかし、先日、私が庭に出た時に

事件は発覚しました。

荒らされている…

明らかにマスターのお墓が荒らされているのです。

ピンポイントで掘り返してやがるのです。

このままでは、成仏を祈る子供たちに申し訳ない

そう思って、埋め直そうとスコップを持って 穴に近づいた時です…

魚釣りを趣味に持つ私は、

魚を捌くのも自分でやるのですが、

その時に見慣れた形状のモノがそこに

落ちていました。

いかん!尻尾だ。

マスターの尻尾だこりゃあ。

スコップで、他には無いかと探しましたが

尻尾以外は見つかりません。

間違いなく、マスターの体は何か他の動物の

胃袋に収まっていると考えるしかなさそうです。

尻尾だけでも残っているなら

それはマスターの骨肉ですので、

もう一度、それを埋める事にして、

キレイにお墓を整備しておいたんです。

で、次の日、もう一度庭へ出てみると

荒らされている…

尻尾だよね。

尻尾しか残ってなかったはずなのに

何で荒らしてるんだぁぁぁぁ!

ブチ切れですよ。

そういや、この前、家に帰る時に

キツネが家の近くを横切ってました。

キツネのヤツめ、ワナ仕掛けて

捕まえて毛皮にしてやろうか?とも

思ったのですが、それが自然の摂理で

あると言えば確かにそうなんですよね。

マスターが死んで、ちょうど40日以上が

経過してます。仏教では人は命を失うと

49日で魂は成仏すると言いますから、

もしかしたら、キツネはあの世の使いで

肉体を浄化する為に来たのかもしれません。

肉体を失っても、子供たちの心に

マスターの記憶は残っている。

それは、あの金魚にとっても

嬉しいことなのではないかと思うのです。

キツネに食べられたとしても、マスターの肉は

キツネを生かし、その糞は植物を育てる。

いつの日か、花となり子供たちや私の心を

癒してくれるなら、それで良いのではないかと

思い直しました。

これが、人類なんかより遥か昔から

日々絶やすことなく行われてきた

自然の営みであると、妙に納得してしまいました。

でも、子供たちにはしばらく黙っていようと思います。

子供たちが大きくなって自然の摂理を

理解する日までは黙っておきます。

今、それを言ったら、子供たちはキツネを

憎んでしまうといけませんからね(笑)

どんな動物にも愛情を持ってくれる

子供たちでいて欲しいですから。

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