日本文化の凄さ②
昨日は、1000年以上前の日本で
竹取物語という壮大な物語が作られた事、
しかも、それを作った人は「作者不詳」
要するに「無名」の一般人であった
という話をしました。
あれだけの話ですからね、
「私が作りました」と名乗っても良いものなのに。
今日は短歌の凄さについて
お伝えしておきましょう。
平安時代より前から「短歌」という
言葉遊び(?)が日本では親しまれます。
5・7・5・7・7の最大31文字で、自分の気持ち
感情、生き様を表すという、トンでもない遊びです。
当然、言葉を選ばなければいけませんし、
しかも文字数も決まっている…
その中で自分の心を相手に知ってもらう…
なんと理知的な文化でしょうか。
気になるのは、当時「国語辞典」などというモノは
存在していないという事です。
現代であれば「〇〇を短くした言葉」をネットなり
辞書なりを使って検索できますけど、
当時は作者のボキャブラリー、もしくは、目の前の
事象を自分の言葉で表現しなければいけません。
とっさに「オリジナルな言葉を作る」という
難易度MAXな事までして、最高の歌を
作っていたというんです。
いや、むしろ、そのオリジナルな言葉こそ
現代に残っている言葉なんですよ。
短歌は当時の貴族の頭脳と感受性を試す
テストみたいな役割を担います。
平安貴族は自由恋愛は認められていませんでした。
特に女性は貴族同士の姻戚関係を結ぶ
貴重な存在でした。
よって、貴族な女子はむやみやたらに男子と
会う事を禁じられていたと言います。
あ、話はそれますけど、
唯一、貴族女子が目にできる男子は
「僧侶」だったと言います。
もちろん、僧侶は現代のお坊さんと違って
完全に俗世の煩悩を断とうとしていた人たちなので
貴族女子のパパも安心して娘に見せる事が
できたワケですけど、貴族女子は僧侶の声に
夢中になっていたらしいですよ(笑)
今でいう所のライブでも見に行くように
僧侶の読経の声を聞いていたようです。
お坊さんの読経の声って何か変な感じ
ですよね。艶っぽいというか、普通の声では無い…
それは、そんな流れからきているのかもしれませんね。
話を短歌に戻します。
女子に会えない男子は女子の嗜好なんか
知る由もなく、仮に会えたとしても話のネタ
なんかあるわけが無いんです。
あ、一つだけある。
貴族の嗜みとして男女問わず
「短歌」だは浸透していましたので、
それを利用して男性は女性に自分という
存在を知らしめる事はできたのです。
「恋歌」の誕生です。
いわゆるラブレターの代わりに短歌を送る
のですが、男性は顔も知らぬ女性に恋歌を送ります。
女性も「OK」と「拒否」を示す為に返歌を出します。
そうやって、自分の知性と感受性を相手に示す事で
貴族の若者たちは異性のハートを掴んでいたという事ですね。
現代において、男性や女性の異性を選ぶ基準は
ルックス・身長・年収…etcですけど、
当時は短歌の上手さでモテ度が
決められていたって事です。
…なんて国だよ、この国はよぉ(笑)
私が当時の人間だったなら
月刊誌「漢の短歌」を編集したでしょうね。
あ、同時に「淑女の返歌」も刊行するかな(笑)
現代はファッション誌ですけど、
この当時は「短歌」こそ全てですから(笑)
「淑女の返歌」は毎回巻頭に「今月の僧侶」
ってコーナーを作っておきます。
部数が伸びますよこれは(笑)
貴族パパに見つかって大変な事に
なるかもしれないけど…
いやぁ、日本の文化って本当に凄いものです。