食事の教育
食事は人間が生きる為に
絶対的に必要な事です。
人間が生存する為のエネルギーは
化学エネルギーですが、その材料に
なるものを口から摂取しているのです。
最近は「残さず食べなさい」という
言葉を子供にかける教育は
「悪」であるという傾向なんだそうです。
「食べられる分だけ食べなさい」
って事なんでしょうか?
残った食べ物はどうするんでしょうか?
絶対にそこにスポットは当たりません。
日本人の悪いところです。
都合の悪いものにはフタをするんです。
そのパンの欠片すら食べられない子供が
世界中には何千万人いることでしょう。
それなのにこの飽食の国ときたら…
捨てるでしょうね。冷蔵庫に入れて、
またいつか食べられるものならともかく
ジャムを塗った食べかけのパンを残して
冷蔵庫に入れておくなんてありえますかね?
捨てる事の何が悪いの?っていう
親だの子供だのがいるなら、
普通に食事ができない国に
文無しで送りつけてやれば良いと思うんです。
…かといって、無理強いして
食べさせるのも良くないのはわかります。
とある学校の先生が給食の時間に
無理強いして食べさせようとして「問題」に
なった事があります。
無理に食べさせることは教育なのか?
っていう論点でワイドショーなんかで
議論されていましたけども…
食事って無理にするものではありません。
無理強いさせられると、ますます食事が
できなくなってしまう子供もいるでしょう。
でも、給食は考えられた献立です。
基本的には残さずに食べる事を美徳と
させるべきだと思うんです。
それを、どっかの親が食べたいものだけ
食べればいいなどという、変な哲学を
持ってくるから、こういうズレた論点の話が
出てきてしまうんだと思うんです。
私は食事に関しては無理強いではなく
「いただきますの本当の意味」を始め、
生産者(農家)の気持ち、食肉として生涯を終える
家畜の一生などをしっかり伝えて
子供たち自身に気づかせるべきだと思うんです。
子供の意思だの嗜好を重視した方が
子供にも好かれますしコミュニケーションは
上手く行くかもしれませんけどね
本当の意味で、その子供の為になっているのか
と言われたらそれはNOだと思うんです。
食事の教育は普通の教育よりも重要です。
社会で生き抜く知識ではなく、
生命に関わる教育なんです。
ライオンやフクロウなどの獣ですら
獲物の取り方や食べ方は
子供たちに施す教育なんです。
そんな重要な事を、子供中心で教育したら
栄養が偏って貧弱な体質となり
ただでも少ない子供たちが、
もっと減る事になるかもしれない。
子供にも「権利」というものがあるんだから
子供たちにも選ぶ権利を与えるべきだ
と話していたコメンテーターがいましたが
「権利」は生きているからこそ必要となるものです。
生きる為に必要な教育は「権利」とか
小難しい話を持ち出さずに、
「食事は残さず食べましょう」を無理なく
実践するためにはどうするべきかを
議論すべきだと私は思います。