戦国時代の最強武将は?
これ、色々な意見があると思います。
最強とは何をもって最強なのかという
定理すら、意見が割れる所でしょうから
ある意味永遠のテーマなんでしょうけど
私のイチオシ武将をご紹介します。
山中幸盛(鹿介)です。
誰だ?それ?
って思う方が多いでしょうね。
書籍は多いのですが
ドラマ化されていないんですよ。
でも、この人の人生は本当に凄い。
「神よ、我に七難八苦を与え給え」
という名言を残したと言われています。
元々、戦国大名の尼子氏に仕えていた
幸盛でしたが、尼子氏はライバルである
毛利氏に屈服します。
毛利と言えば三本の矢で有名な毛利元就です。
しかし、幸盛の凄さはここからです。
尼子氏を再興させる為に挙兵し
あの毛利元就がアタフタするほど
攻め上がります。幸盛は各地の戦いで
圧倒的な活躍をします。
一騎打ちで何人もの武将を討ち取って
少ない兵数で大軍を負かします。
5日で15もの城を攻め落としたりします。
負け戦になれば殿(しんがり:退却する
本隊を逃がす為、後ろに残って敵と戦う役割)
を務め、迫ってくる敵を全て追い返したりします。
しかし、多勢に無勢で結局毛利に敗れます。
幸盛は捕らえられて幽閉されますが
なんと隙をついて脱出します。
そして毛利氏が九州へ出兵している時を見計らい
2度目の尼子再興軍を編成し挙兵します。
そして、また主要な城を奪い取ります。
みるみる城が取られていく為、毛利元就は
九州に出兵した自分の軍隊を全部撤収させ
尼子再興軍と戦わせます。
ここでも幸盛は大活躍するのですが、
中国地方の山中で孤立した尼子再興軍は
敗れるというより散り散りになって瓦解します。
幸盛はその足で京に行き、
織田信長を頼ります。信長に気に入られた幸盛は
織田の武将として、いくつかの戦にも参加し、
そこでも活躍します。織田信長が羽柴秀吉に
毛利氏討伐を命じると
幸盛は3度目の尼子再興軍を編成し秀吉軍に合流します。
秀吉軍から上月城を与えられる尼子再興軍でしたが、
上月城はすぐに毛利軍に囲まれます。
秀吉軍が播磨の三木城主だった別所氏の
反乱鎮圧で援護できない状況を見据えての事でした。
孤立無援になった上月城は陥落し
幸盛も捕らえられ、毛利輝元(元就の子息)の元に
連れていかれる途中で謀殺されてしまうのでした…
凄い人生ですよね。
享年は31歳か39歳だそうです。
中国地方の有力大名である毛利氏に
国を持たない軍隊が3回も歯向かったんです。
そのリーダーが幸盛でした。
その都度、敗北はしますが、その戦いっぷりは
敵だった毛利氏ですら一目置いていたのでしょう。
これだけ苦戦をさせられたのに、
すぐに処刑しなかったのは、その武将としての格に
魅了されたからだったのではないでしょうか?
「神よ我に七難八苦を与え給え」
という言葉が残されているのは、
これだけの窮地を生き延びた幸盛が
神様に向かって「もっと苦しい奴持って来いや~」
って言っているようなものなのかもしれませんね(笑)
裏切り裏切られる事が当たり前の戦国時代に
最初の主家の為に最後まで命を捧げ
一騎打ちで討ち取った首多数
少ない兵で大軍を打ち負かした数多数
短い日数で城を落とした数多数という
漢(オトコ)の中の漢(オトコ)です。
ちなみに、幸盛の子孫が
日本の大財閥となった「鴻池財閥」となります。
肝っ玉や腕っぷしだけではなく、
やっぱり頭も相当キレたんでしょう。
色々と武将がいますけど
国を持たない武将でここまで強い人は
なかなかいないので、私のイチオシ
最強武将とさせていただきます。