祭りを作る事
毎年、恒例の時期になってまいりました。
よさこいソーラン祭りです!って言っても
私自身は現状では全く興味はありません。
将来的に、うちの子供たちが参加するとか
誰か知り合いが参加するとなれば
観に行って応援したいと思うのでしょうが
私自身「踊り」にはあまり興味が無いんですよね。
うちの嫁さんはフラメンコをやってたし
娘たちはクラシックバレエをやっているので
それを観に行くことはあるのですが
「いいなぁ~オイラも踊りたい!」
と思ったことは一度もありません(笑)
よさこいソーラン祭りを作ったのは北大生です。
北大生の企画に札幌市が乗ったんですね。
ものすごくパワーのいる事ですから
これを作った学生たちには敬意を払わざるを得ません。
ただし、この祭り、
最初はかなりの一大イベントでしたけれども
今ではトーンダウンしている印象です。
祭りを「作る」という段階において
「一般市民の参加型である」
というのは良い着眼点だったと思いますが
そもそも従来の祭りは「祀る」からきており
神事・仏事であります。
古くより人々が祭りに参加するのは
神事・仏事である故「参加しなければならない」
という暗黙の強制により繫栄してきました。
残念ながら、よさこいソーラン祭りには
「奉納」という概念がありません。
審査員の目だけを意識する踊りに
なってしまった事が、踊り子のセミプロ化に繋がり
純粋な素人参加者をドン引きさせて
衰退につながっているのだと思います。
昔の人は信心深かった事もあり
古くから伝わる「祭り」は今でも残されています。
しかし、無宗教・無信心の現在において
後世まで残る祭りを現在の世で作る事に
無理があったのかもしれません。
本場の高地よさこい祭りも
「奉納」という概念はないのでしょうが
一応、お盆時期にやっている所をみると
一種の仏事に見えない事もありません。
よさこいソーラン祭りも
お盆の風物詩・収穫期の風物詩みたいに
名を残せると良かったんでしょうね。
夏休み中は学生が地元に帰る
10月くらいは卒論に追われてできない…
そんな学生の事情が6月開催に
してしまったのかもしれません。
丁度、北海道神宮祭と同時期なので
いっそのこと、審査員とか無しにして
北1条通りを踊りながら練り歩き
北海道神宮に踊りを奉納するという形に
してしまってはどうでしょうかね?
踊り子隊の中に一人以上で「巫女」さんの
恰好をした人を入れて、その人を中心とした
踊りにすれば良いんじゃないかしら?
神事なら残さざるを得なくなりますし
自然や天気を相手する仕事の人は
参加した方が「ご利益がある」という方向に
持って行けたなら、
嫌々ながらでも市民は参加するでしょう。
そうしているうちに
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損損」
と踊り子もまた増えてくるんじゃないでしょうかね?
そんな簡単にはいかないか…
祭りを作るのって難しいですね(笑)