原点回帰
日本の教育の起源は寺子屋という
イメージが強いですよね。
お寺を借りて、お坊さん、もしくは有志が
無償で必要最低限度の読み・書き・そろばん
さらには地理などを教えたそうです。
全国に広がったのは江戸時代中期くらいから。
江戸時代って「飛脚」に代表されるように
文書による情報伝達システムが
ハードとして構築されていたので
字に対する需要が多かったのでしょう。
おかげで江戸時代の日本は
世界最高峰の識字率だったようです。
一方、塾っていうのは案外古く
平安時代からあったそうです。
学者が家に生徒を呼んで講義する
「家塾」というものだったようです。
江戸末期の松下村塾や適塾なんかも
家塾の典型的な例ですよね。
生徒にしてみれば、わざわざ家に行って
話を聞くんだから義務教育ではなく私教育です。
我々の学習塾もそれに近いものがあると思います。
ところで当時の先生は
何を考えて講義をしていたのでしょう?
現代とは違いますから、別にお金儲けを考えて
始めた事ではないという所まではわかります。
今と違ってわからない事だらけの世の中で
日本や海外の文献を読み漁り、
これは凄いと思ったことを生徒たちに伝える。
きっとそこには、生徒たちに向けて
「知識は心を豊かにしてくれる」という
メッセージがあったのではないかと思います。
自分の講義を聞いた一人でも多くの生徒が
新しい知識に心を動かされる事を
切に願っていたのではないかと想像できます。
現代においても、塾の先生はその気持ちを持って
生徒たちと接する事が必要なのではないかと思うのです。
一人でも多くの生徒を入会させる事を画策するのではなく
一人でも多くの生徒に何かを掴んでもらいたいと
思案する事こそ大切なのではないかと思うのです。
昨日、大きな塾は「組織」を意識するという話をしましたが
塾の先生は上司の顔色を伺うのではなく
生徒の表情だけを見ていて欲しいものです。
塾によって方針はそれぞれあるのかもしれないけれど
教えているのは先生自身ですから。
塾にまつわる全ての答えは
会議で話し合って出てくるものではなく
エリア長やらブロック長やらが教えてくれるものでもありません。
目の前の生徒の顔に書いてあるんですよね。
少なくても私は答えを塾という組織の判断ではなく
生徒の表情から拾っていこうと決めました。
歴代の家塾・寺子屋の先生方が心に抱いていた
尊大な気持ちに少しでも近づきたいと思っております。